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仙台高等裁判所秋田支部 昭和47年(ネ)115号 判決

控訴人(第一審被告) 男鹿市

被控訴人(第一審原告) 戸嶋運治郎

主文

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  右部分につき被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事実

第一申立て

一  控訴人の求める裁判

主文と同旨の判決

二  被控訴人の求める裁判

「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決

第二主張

一  被控訴人の請求原因

1  被控訴人は、肩書住所地に居住し、「いこい食堂」と称する飲食店を経営していたものであり、その南東側に隣接して訴外鈴木ヱツ方住家があつた。昭和四五年三月二六日午前四時二〇分頃右鈴木方住家より出火し、被控訴人方店舗兼住居が類焼した(以下本件火災という。)。

2(一)  本件火災は、その前日二五日午後五時五〇分頃右鈴木方風呂釜煙突の側壁貫通部から出火した小火の残火が再燃して発生したものである。

(二)  すなわち、本件火災の早期発見者は、右貫通部の上部から右鈴木方住家の西角にかけての側壁が燃えている状況を目撃しており、出火個所は前日の小火の残火が残つたと思われる個所である。そして、右貫通部の側壁内部は、室内の側から浴室釜場壁のモルタル、モルタル下地板、胴縁、ベニヤ板、貫、筋違、間柱を経て最外部の下見板に至るという複雑な構造を持ち、内部に残火がこもりやすく、また前日の小火の際は、火煙が右側壁内部を経てその上部の二階四・五畳間押入から室内に吹き出していた。放水により右の小火が一応消えた後も、右貫通部の西南(鈴木方住家の西角方向)側の側壁から煙がでていたのであつて、側壁内部に残火が残つていたことは明らかである。本件火災は、前日の小火の際の消火活動の影響を受けて、右残火による無炎燃焼が緩慢に進行したため、小火の後約一〇時間を経て、再び発炎して大事に至つたものである。

3(一)  控訴人の職員である男鹿市消防署員は、右小火の消火にあたり、注水破壊等の消火活動を十分にせず、残火の確認を怠り、前記の残火を残したものであり、過失がある。

(二)  すなわち、右消防署員は、室内からは二階四・五畳間押入内にホースで放水し、外部からは煙突貫通部直上の二枚程度の下見板がはがされたところからバケツ等で注水したのみで鎮火したものと即断し、放水中止後前記2(二)のとおり煙が出ており、被控訴人などから、さらに下見板をはがして放水するよう強く求められたにもかかわらず、湯気だから心配ないとして放水・残火の確認をしなかつた。しかし、前記2(二)記載の側壁内部の構造、火煙が側壁内部を経て吹き出していたことなどからみると、側壁内部の残火の存在を予測すべきであり、これを確認し消火するには、二階四・五畳間押入奥のベニヤ板並びに前記貫通部から右押入に至るまで及びその周辺部分の下見板をはがして、直接残火に対して放水すべきであつて、これらのことは、消火の専門家ならずとも、容易に判断しうることである。

4  被控訴人は、本件火災により次の損害を蒙つた。

木造二階建店舗兼居宅         一五〇万円

家財道具、什器及び衣類        二〇〇万円

休業損失                五〇万円

本件火災の際の被控訴人のけがの治療費 三〇八〇円

以上合計   四〇〇万三〇八〇円

5  よつて、被控訴人は、控訴人に対し国家賠償法一条に基づき、右損害金四〇〇万三〇八〇円及びこれに対する本件火災の翌日である昭和四五年三月二七日以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する控訴人の答弁

1  請求原因1の事実を認める。

2(一)  同2(一)の事実中、被控訴人主張の小火があつたことは認めるが、その残火が残りそれが再燃して本件火災に至つたとの事実は否認する。

(二)  すなわち、本件火災の出火個所は、前日の小火のそれとは異なり、鈴木方住家の二階西側部分のいずれかである。警察の実況見分調書添付写真にみられる下見板、煙突、二階六畳間の窓、煙突貫通部上方の間柱及び二階四・五畳間押入床板の残存状況は、小火の出火個所付近から再燃した場合にはありえない状況であり、鈴木ヱツを除く他の早期発見者が目撃した火災の状況も、二階西側部分からの出火を推定させるものである。しかも、小火の出火個所である煙突貫通部付近で一〇時間余に及ぶ無炎燃焼があつたとすれば、その痕跡を残さなければならないが、本件の場合、それがなく、小火が鎮火した後と同じ状況が本件火災後にも残されていた。そのうえ、小火の後火元の鈴木ヱツ方では家族全員がなんらの異常を感じないまま就寝しており、同夜一〇時頃及び一二時頃に鈴木方に立寄つた者及び鈴木方の周囲を見廻りした者も全くなんらの異常も認めていない。これらの状況を考え合せれば、小火の残火の再燃ではないといわざるを得ず、他のなんらかの出火原因が疑われるのであつて、鈴木ヱツ方で小火の後ぬれた畳等を乾かすため二階でストーブをたき、これが出火の原因となつた可能性、当時近隣で発生した連続放火など、本件火災の出火原因について考えられる可能性は少なくない。

3(一)  同3(一)の事実中、控訴人の職員である男鹿市消防署員が、小火の消火にあたつた事実は認めるが、消火活動が十分でなく残火の確認を怠り、残火を残した過失があるとの事実は否認する。

(二)  男鹿市消防署員は、室内からは二階四・五畳間押入内部及び二階一帯にホースで放水し、外部からは煙突貫通部直上の下見板をはがして注水したし、出火源であつた風呂釜の中にも注水している。消火のため使用した水量は、およそ一〇屯に達し、二階及びその階下共水びたしになつたのである。そして、出火個所である煙突貫通部付近に残火のないことを確かめ、さらに二階天井裏についても確認したうえ、鎮火と判断したものであり、消防隊を引きあげた後も消防士長以下二名を残留させて警戒にあたらせている。放水中止後も側壁から煙が出ており、さらに下見板をはがして放水するよう求められた事実はない。消防活動の窮極の目的は市民の財産の保全にあり、消防活動においても無用の家屋の破壊は避けなければならないのであつて、当時の状況からみて、さらに下見板などを広範囲に破壊し注水するなどの必要はなかつたものである。

4  同4の事実は不知。

5  同5を争う。本件火災の原因が前日の小火の残火であるとすれば、火元である鈴木ヱツの過失による火災ということとなるが、ヱツに対しては「失火ノ責任ニ関スル法律」により損害の賠償を請求することができないのに、控訴人に対しては請求できるということは権衡を失する。従つて、仮に請求原因1から4までの事実が認められるとしても、右法律に照らし控訴人に全面的な責任を問うことはできないものというべきである。

三  控訴人の仮定抗弁

被控訴人は、昭和四五年三月末頃訴外大正海上火災保険株式会社から、本件火災による損害につき保険金一〇〇万円を受領した。従つて、同会社は、商法六六二条により同額の損害賠償請求権を取得し、その反面で被控訴人は控訴人に対する右請求権を失つたものである。

四  仮定抗弁に対する被控訴人の答弁

被控訴人が右会社から金一〇〇万円の火災保険金を受領したことは認める。しかし、同会社が代位取得した損害賠償請求権は、時効により消滅しており、また保険会社が右請求権を行使することは事実上絶無であることを考えると、控訴人が右会社に一〇〇万円を支払うことはない反面、右保険金は被控訴人がすでに払いこんだ保険料の対価である。仮定抗弁を認めると、結局控訴人は不法行為者であるのに、なんらの対価を支払うこともなく損害賠償を免れる利益を得ることとなつて、その不当であることは明白である。

理由

一  本件火災の出火個所について

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。そこで、本件火災が火元の訴外鈴木ヱツ方家屋のどの個所から出火したかについて、検討を加える。

成立に争いのない甲第一号証(実況見分調書)によると、右鈴木方住家は、二階建部分と平家建部分とからなる一棟の建物である(その間取り等は、別紙第一図のとおりである。そして、右鈴木方住家の北西側((被控訴人方住家に面する。))側面の概要は、前掲甲第一号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第三号証、同号証により真正に成立したものと認められる同第四号証及び成立に争いのない乙第一一号証によれば、別紙第二図のとおりであつたことが認められる。)が、本件火災がその二階建部分より発したことは、当事者間に争いのないところである。

そして、右二階建部分の階下玄関、台所、廊下、二・五畳間、便所及び階段室の室内(天井のある部屋等については、その天井と二階床板の間を含む。)並びに風呂場及び風呂釜場室内が出火個所でないことは、前掲甲第一号証並びに当審証人天野末吉及び高橋満雄並びに原審及び当審証人鈴木ヱツの各証言により、また二階建部分の側壁中北東側(道路及び化世沢川に面する。)、東南側(訴外佐々木貞次郎の住家に面する。)及び西南側(男鹿市立民生会館に面する。)が出火個所でないことも、本件火災の早期発見者である鈴木ヱツ及び吉元政雄の当審における証言、さらに消火のため最初に臨場した男鹿市消防署員天野末吉の当審における証言により明らかである。以上のことから、出火個所として検討に値するのは、二階の室内及び天井裏(小屋裏)、階下では風呂場及び風呂釜場(以下単に風呂場という。)の天井と二階床板の間及び風呂場の西南側壁と隣接の二・五畳間壁の間(これらの間隙があることは、当審証人渡部清一の証言によりこれを認める。)、そして前記側壁中北西側(被控訴人住家に面する。)に絞られることとなる。そこで以下順次検討する。

1  二階室内及び天井裏(小屋裏)について

成立に争いのない乙第一〇号証(鑑定書)(当審証人大中良彦の証言も同旨)は、本件火災の出火個所は、誤りのない結論として断定するまでには至らないが、二階六畳間洋服ダンス(当審証人鈴木ヱツの証言によれば、これは押入である。)前面付近の床上にあるとしている。右乙第一〇号証によると、これは、実況見分調書添付写真(乙第三号証)及び船木勘治郎作成の火災現場写真(乙第四号証)を拡大し、そこにみられる焼けの方向性を集約して、出火個所を割り出したものと認められ、成立に争いのない乙第八及び第九号証によると、出火個所判定の方法として客観性に富むものであることが認められる。

しかしながら、右乙第一〇号証にあるように、資料である写真そのものが焼けが判るようなあらゆる角度から撮られておらず(当審証人船木勘治郎の証言により成立を認めうる乙第五号証の一及び二参照)、また構図も悪いため、焼けの方向性をみるために採用された建物構造材は、右乙第一〇号証で出火個所とされた場所に近い部分にあるものに重点が置かれ、その他の部分特に鈴木方住家の北西側側面にある柱などの構造材は、比較対照することが困難となつている(乙第一〇号証の焼けの方向性の図参照)。そのうえ、右乙第一〇号証では、甲第一号証に記載されていない関係者の発見状況に関する証言は、判定の資料となつていないのであるが、右大中証言によれば、前記の個所が出火個所だとすれば、鈴木方住家の切妻屋根の西南端最上部別紙第二図の〈1〉から最初に火煙が出、次いで同図面〈2〉の切妻部分、次いで〈3〉の屋根の部分から出、同時に〈4〉の軒出しから吹き出しがあり、その後に〈5〉の窓などに火煙が吹き出てくるのが通常で、当初から、北西側側壁の特定部分が燃え抜け、火煙が吹き出すことは、通常ありえないのに、当審証人天野末吉の証言によれば、同人が現場に来たときには、別紙第二図面のFの部分の側壁が燃え抜けて火煙が吹き出していたことが認められ、また当審における証人吉元政雄の証言によれば、火災の初期の段階で、鈴木方住家の南の方向からみて、右図面の〈1〉、〈2〉及び〈3〉の位置に火煙はなく、〈4〉の位置から煙が上つていたことが認められるのである(これらの証言に信用性があることは、後記2(五)記載のとおりである。)。さらに、右大中証言によれば、前記出火個所における出火原因は、二階畳(床)上あたりにあるのが通常で、小屋裏付近からの出火は考え難いというのであるが、出火原因として疑いうると控訴人が主張するストーブ(請求原因に対する控訴人の答弁2(二)参照)は、乙第三号証の写真5などに写つている粉炭ストーブ(粉炭ストーブであることは当審証人鈴木ヱツの証言によるも認められる。)以外には考えられず(本件火災後実況見分まで証拠保全のため、火元の家人を含めて全ての者の現場への立入が禁止されたことは、当審証人籾山運七の証言により認められるところ、実況見分をした当審証人高橋満雄の証言によれば、二階には、右以外のストーブは発見されていない。)、しかも右写真及び当審証人鈴木ヱツの証言によれば、右のストーブは二階六畳の二段となつている押入(甲第一号証、乙第五号証の二、同第六及び第一〇号証などでは洋服ダンスと表示されている。)の下段奥深く置かれていたことが認められ、その操作は困難で暖気も室内に拡散しにくく、とうていこれを小火の後の室内の乾燥のために用いたとは認められない(なお当審証人天野末吉の証言によれば、放水の力により右ストーブが動きうることは認められるが、前掲写真5に照らし、右ストーブが室内から押入内に移動した可能性は極めて少ないものと認められる。)。その他放火など他の出火原因を疑いうる資料は、本件の全ての証拠を検討しても発見できないし(家族が就寝中の家屋の二階室内で外部の者が放火することは考え難いし、小火の残火による出火をみせかけるための放火だとすれば、位置が離れており理解し難い。)、成立に争いのない甲第一号証並びに実況見分をした高橋満雄及び同時に見分した男鹿市消防署長渡部善男の証言によつても、二階床面(二階四・五畳間押入内を除く。)になんらの出火原因を疑わしめる状況を目撃していないことがうかがわれるのである。以上のことから判断すると、前記個所を出火個所と認定するのは極めて困難であるといわねばならない。

そして、二階室内の他の個所及び天井裏(小屋裏)についても、成立に争いのない甲第四号証の一から三までによれば、漏電による出火の可能性は否定され、原審証人天野末吉並びに当審証人渡部善男及び鈴木ヱツの各証言によれば、二階室内の天井、壁及び床面は前日小火の際の放水により水浸しとなっていたことが認められ、そこに残火が残つていたことは考えられず、また二階床面に出火原因を疑わしめる状況が目撃されなかつたことは前記のとおりであり、またこれらの個所が出火個所であれば、建物外部へ火煙が吹き出す位置も、前記の大中証言の内容とほぼ同一であると推認されるのに、前述のとおり早期発見者らの証言から認められるそれは異なつているのであつて、これに乙第三号証の写真1及び3並びに乙第四号証の写真22にみられる屋根の破壊陥没の状況を考え合せると、これらの個所が出火個所である可能性もまた極めて少ないものということができる。なお、当審証人佐藤喜一郎は、本件火災の際二階へ上つたところ、二階六畳間の室内に炎があり、室内を外とうを着て歩いた旨証言するが、当審証人天野末吉の証言に照らして、措信できない。

2  北西側の側壁等について

前掲乙第三号証の写真4及び16並びに当審証人船木勘治郎の証言によると、本件火災後も、火元住家の北西側側面のうち、二階四・五畳間押入に相当する部分の道路寄の小部分、一階台所に相当する部分及び風呂釜場に相当する部分の煙突貫通部より下の各下見板並びに一階二・五畳間出入口の戸が焼け残つていたことが認められる。そこで残る側壁部分である別紙第二図のAからGまでの各部分並びに風呂場天井と二階床板の間及び風呂場西南側壁と一階二・五畳間壁との間について順次検討する。

なお、本件火災時の火元住家付近での風向は、当審証人船木勘治郎及び同天野末吉並びに原審及び当審証人鈴木ヱツの証言によれば、火元住家前道路より建物奥の方向(すなわちほぼ北の風)であつたことが認められる(なお消防署での観測結果では、北西の風四メートルであつた。成立に争いのない乙第二号証の二)。

(一)  側壁Aの部分等について

前掲甲第一号証及び当審証人高橋満雄の証言によれば、実況見分にあたつた同人は、早期発見者である鈴木ヱツが「風呂の煙突の上の方が燃えてい」たと述べたこと、一階二・五畳間の風呂場側の壁の一部及び二階四・五畳間押入内部の床板の一部に焼け穴があり、それらが前日の小火の際にはなかつたものであることなど煙突貫通部周辺の焼けの状況から、右貫通部付近の側壁(すなわち別紙第二図面のAの部分)内部にある「貫、間柱、胴縁の内側部に残火があつたため、同所から再燃焼したものと推定」したことが認められる。そして、当審証人渡部清一の証言により認められる建物の構造からすると、前日の小火の際の火災は、右の個所だけでなく、風呂場天井と二階床板の間及び風呂場の西南側壁と一階二・五畳間壁との間にも及んだことが推認され、また甲第一号証によると風呂場天井モルタルの一部が焦げて変色していたことが認められるので、本件火災の出火個所の判定には、これらの個所を含めるのが適当である。

そこで検討するに、まず右鈴木ヱツの早期発見の内容であるが、同人は、原審において、煙突貫通部より上の方で二階四・五畳間の押入のすみにあたる部分(別紙第二図では貫通柱と胴差の交点がこの部分にあたる。)から建物の奥の方(同図面の西角の方向)へ燃えていたと述べており、当審では、燃えていた個所として別紙第二図のほぼDと記載した部分をさしているのである。A部分とD部分の側壁は、別紙第二図にあるように、貫通柱及び胴差により一応仕切られているのであるから、A部分(前記の風呂場天井と二階床板の間等を含む。)で発した火煙が、A部分やB部分の下見板のすきま等から外へ出ずに、側壁内部を経てD部分ではじめて下見板を燃え抜け外部に吹き出たとみることは困難で、この早期発見の状況は、前記の推定の根拠とならないというべきである。そしてA部分(前記の風呂場天井裏等の間隙を含む。)から出火し、本件のような大規模な火災に及んだとすれば、最も焼毀の程度が激しいものと考えられる次のような構造材が、他の個所のそれほど焼けておらないことは、前記の推定に強い疑問を抱かせるのである。すなわち、

イ A部分側壁等の直上部にある二階四・五畳間押入床板は、甲第一号証及び当審証人高橋満雄の証言によると煙突貫通部ほぼ直上の部分が、長さ二八センチメートル、巾八センチメートル燃え抜けているものの、乙第四号証の写真18によると、なお人間一人が乗ることができる状況にあることが認められ、その焼けの状況はそれほど強くないものと認められる。

ロ 乙第三号証の写真6、13及び16並びに当審証人高橋満雄の証言によると、別紙第二図面A部分の胴差付近の下見板は、本件火災によつても燃え切れずに相当部分が残つていたことが認められ、また右写真6によると、その延長線上にある同図面にある貫通柱の外側表面には、焼けが全く認められない部分が残されていて、この部分にあつた下見板は燃え切れなかつたか、すくなくとも、本件火災の最後の段階で燃えたかのいずれかではないかと考えられる。

ハ 右写真6及び12によると、煙突貫通部の直近をとおり上下にのびる間柱は、胴差の下部及び直上部においてその表面の焼けが弱く、またその上方でも燃え残つた下見板の破片などが付着しておることが認められ、その焼けの程度は相当低いものと考えられる。この間柱の胴差の直上部は、前記の高橋証言によれば、二階四・五畳間押入の焼け穴に近い個所であることが認められ、そうとすれば、この焼け穴がその下部からの延焼によつて生じたということにも疑問が残る。

ニ 右写真6及び12によると、二階四・五畳間押入の上段前縁及び小根太が焼失せずに残り、また上段小根太上に張られた板にも焼け残つた部分が認められる。右写真5及びその拡大写真である乙第一〇号証の写真5の2にみられる、二階六畳間押入(洋服ダンス)内の焼けに比較すると、焼毀の程度はかなり低いものと考えられる。

ホ 右写真4、6及び13(その拡大写真が乙第一〇号証中にある。)によると、別紙第二図の貫通柱は、胴差より上部で、下見板が打ちつけてあつたと思われる部分に、焼けの全くない個所あるいは焼けの弱い部分が認められるが、写真5などにみられる火元住家南西面の二階部分の柱には、このように建物の外部に向つた面の焼けが弱い柱は認められない。そして、このことは、右貫通柱に打ちつけられてあつた下見板が火災の最後の段階で焼け落ちたのではないかという疑いを生じさせるのである。

以上のように検討してみると、A部分等が小火の出火個所又はその近くであるため、残火の残る可能性があるということ、並びに前述の風向及び小火の消火のため一たん濡れた部分が多いということを考慮にいれても、なおA部分等を出火個所と判定することには、多くの疑問が残るものといわねばならない。

(二)  側壁Bの部分について

仮にこの部分により出火し、他へ延焼したとすれば、その直上の天井及び小屋裏などは最も強く焼毀し、トタン屋根は他の部分と同様またはそれ以上の破損陥没等の状況を残すのが通常ではないかと考えられる。ところが、当審証人渡部善男の証言によれば、二階四・五畳間の天井の約半分が焼け残つていたことが認められ、乙第三号証の写真1及び3にみられるトタン屋根の状況も、他の部分が陥没破損しているのに、焼ける前の状況を保つていることが認められる。このことに前記2、(一)、ニ及びホなどの状況を考え合せると、当時の風向等を考慮に入れてもこの部分が出火点であつた可能性は極めて少ないものというべきである。

(三)  側壁C及びEの部分について

前記認定のとおり、一階二・五畳間の出入口戸が焼け残つており、また当審証人高橋満雄の証言によれば、右二・五畳間の天井、便所との境の壁及び便所の扉が焼け残つていたことが認められる。それに、乙第三号証の写真13にはC部分の一部分が写つているところ、間柱、貫、ベニヤ板など最も燃えやすい構造材に全く焼けが生じていないことが明らかである。そして、原審及び当審証人鈴木ヱツの証言によると、同人が火事に気付いて階下室内からみた際には、煙が階段の上方から降りてきていたことが認められる。これらのことを考え合せると、この部分が出火個所である可能性も、極めて少ないというべきである。

(四)  側壁Dの部分について

乙第三号証の写真4、12及び13並びに乙第四号証の写真18には、側壁Dの部分の一部が写されている。これらの写真によると、この部分にある間柱は、室内の側に焼け細りが認められるが、外壁側の焼けは比較的弱く、その一部には下見板が打ちつけられてあつたと考えられる個所に、その焼け残つた断片が認められるし、また最も燃え易いと思われる貫、窓枠などが、貫の一部に焼け細りが認められるものの本件火災後も残つていることが認められる。この個所から出火したとしては、このような焼けの状況には疑問が残るものといわねばならない。そして、成立に争いのない乙第八、第九及び第一〇号証並びに当審証人大中良彦の証言によれば、長時間にわたる無炎燃焼があつた場合には、その個所の建物構造材は、間柱胴縁のように細いものは燃え切れ、貫板のような薄いものは焼失し、柱のように太いものは大きくえぐりとられたような焼けを残すのが通常であることが認められるのであるが、前記の間柱、貫、窓枠などの焼けの状況は、側壁Dの部分での無炎燃焼の存在と矛盾するものといわざるを得ず、また、乙第三号証の写真6、12及び13をみても、他の部分例えば側壁Aの部分で無炎燃焼がはじまり、これが側壁Cの部分に至つてそこで発炎したことを疑いうる焼けの状況は認められない。そうだとすると、早期発見者である鈴木ヱツの前記2(一)の証言は信用性が薄く、この部分が出火個所である可能性も少ないものというべきである。

(五)  側壁F又はGの部分について

前述のとおり、本件火災の早期発見者である吉元政雄は、火元住家の南の方向からみて右住家の西角の屋根軒下から煙があがつていた旨を、また消防署員として最初に現場にかけつけた天野末吉は、右住家前路上からみて二階階段踊場付近(別紙第二図面のFの部分)の側壁が燃え抜けて、火災が吹き出していた旨を証言している。その他にも火元住家の燃えの状況をみた者があり、それらの証言等の内容は、先に記した鈴木ヱツの他、原審証人戸島静香-風呂場のあたりから奥の方へ上から下まで一面に燃えていた、被控訴人-風呂の煙突の出口付近から階段突き当り奥の方へかけて一帯が燃えていた、当審証人船木勘治郎-二階六畳間の窓から炎が吹き出ていた、当審証人渡部善男-二階の北西寄の方ほとんど半分位がすごい火炎で燃えていた、というものであつて、火災が進行している状況で見ていることがその証言等の内容からうかがわれるのであるが、前記の吉元証言及び天野証言の内容と矛盾せず、むしろこれらの証言に信用性があることを裏付けているものと判断できる。

そして、この部分の焼けの状況を適確に撮影した写真はなく、詳らかにしえないが、乙第三号証の写真5、並びに同第四号証の写真19、20及び22(その拡大写真である乙第一〇号証の写真5の2、19の1、20の1及び22の1)では、この部分に存在していたと考えられる間柱が殆んど見えない状況であり(反対に、火元住家二階南西側側壁の間柱は、その殆んどが残存している。)、また右の写真によると、この部分の上部にある軒桁の下の貫は、大きく燃え切れており、この部分の上部のトタン屋根の破損も激しいことが認められ、これらの状況を考え合せると、この部分が出火個所である可能性が相当大きいものと考えられる。そして、すでに検討したように、火元住家の二階建部分から出火したものであるのに、他の部分からの出火については、それぞれ大きな疑問があることを考慮すると、本件火炎の出火個所は、この側壁F又はGの部分であると推認することが可能であるというべきであつて、この推認の妨げとなる証拠は発見できない。

二  残火の再燃の可能性について

前日の小火の出火個所が煙突貫通部であること、小火の際にその周辺の側壁内部だけでなく、風呂場天井裏等にも火災が及んだものと推認されることは、すでに記したとおりである(前記一、2、(一))。そして乙第三号証の写真12及び13並びに当審証人渡部清一の証言により本件火元住家の構造を示したものと認められる乙第一二号証の一及び二並びに同証人の証言によれば、別紙第二図面の側壁Aの部分の内部で生じた火煙は、側壁内部を上昇して胴差の上のBの部分の側壁内部に流れこむ可能性があり、また一部重ね合せて打ちつけられた下見板と貫通柱との間の間隙を通じて、水平方向すなわちC又はDの部分の側壁内部にも流れこむ可能性があつたことが認められる。このように側壁内部を水平方向にも火煙が流れうることは、乙第三号証の写真6にある貫通柱の外壁側の面にある焼けあるいは煤煙の付着とみられる痕跡によつても裏付けられる。そして前記天野末吉の証言のとおり側壁の一部が燃え抜けて火炎が吹き出たとすれば、当審証人大中良彦の証言を基礎に考えると、側壁内部から無炎燃焼を経て又はこれを経ないで燃え抜けたものと推認され、そして他に出火原因を疑うべき証拠のない本件においては、右小火の火煙が別紙第二図のF又はGの部分の側壁に流入し、そこに残火を残し、これが無炎燃焼を続けて本件火災に至つた可能性を否定することができない。なお、前日の小火の出火個所の周辺部分に残火が残り、そこから無炎燃焼がはじまり別紙第二図のF又はGの部分に至つて発炎し燃え抜けた可能性を全く否定しさることはできないが、乙第三号証の写真6、12及び13にみられる焼毀の状況やF又はGの部分との距離関係等からみると、そのような可能性は極めて少ないものと認められる。

三  過失の有無について

原審証人小玉銀一及び天野末吉並びに当審証人渡部善男及び船木勘治郎の各証言を綜合して判断すると、前日小火の際、男鹿市消防署員は、室内からは二階四・五畳間押入を中心として二階室内一帯に放水し(その放水量は約一〇屯に及んだ。)、また煙突貫通部直上の下見板が若干はがされた部分から側壁内部等に注水し、風呂釜の中にも注水したこと、これにより二階天井、壁、畳等は全面的に水浸しになつて階下にもこれが流下し、火はおさまり、煙は残らなくなつたこと、そして、残火の確認としては、一階及び二階の各室内はもちろん側壁内部は前記の下見板の破れ目からこれを視認して行い、また二階四・五畳間押入内部及びその上部の天井裏を投光器で照らして行つたこと、以上の事実が認められる。当審証人船木勘治郎は、なおその他に押入内のベニヤ板及び別紙第二図の西角付近の下見板をはがして残火の確認をしたと述べるが、同証人の原審における証言、原審証人小玉銀一及び当審証人天野末吉の証言に照らし措信し難い。

原審証人平野良悦は、煙突貫通部直上の軒下部分から、同伊藤金次郎は、煙突貫通部とほぼ同じ高さで火元住家西角に近い個所の側壁から、放水終了後も煙らしいものが出ていたと証言し、被控訴人は原審において、放水中止後も二階四・五畳間押入に相当する部分の側壁及び一階二・五畳間出入口戸の上方二メートル余のところから煙が出ていたと述べている。そして、右伊藤金次郎、原審証人戸島静香及び被控訴人は、被控訴人らがこもごも消防団長佐藤喜一郎に下見板をさらにはがして注水するよう要求したのに、とりあげられなかつた旨証言又は供述しているのである。しかし、平野良悦が煙らしいものを見、自からマサカリをとつて下見板をはがそうとしたという位置には、乙第三号証の写真4によると、同証人の証言する経路では到達しえないものと考えられ、その証言は措信し難く、また伊藤金次郎の証言も、その煙らしきものが出ていたという位置については、尋問者が代る毎に動揺していて、にわかに信用することはできない。また、火元である証人鈴木ヱツは、その原審における証言によれば火災がおさまつた直後に被控訴人方に世話になつたというのに、右の証言又は供述の内容にあたる事実を知らないと述べているのであり、そのうえ、原審証人小玉銀一、原審及び当審証人船木勘治郎並びに当審証人渡部善男の証言によれば、鎮火が確認され消防車が引きあげた後も、小玉銀一士長他一名が約二〇分間にわたつて残留し警戒等にあたつたことが認められ、被控訴人らの前記の供述等からすれば、その時点でもなお煙などの残火の疑いがあつたのであれば、同人らばかりでなく火元の鈴木ヱツや小玉士長などがこれに気付き、また小玉士長らに必要な措置を求めたであろうと思われるのに、小玉銀一の原審における証言はもちろん被控訴人らの証言及び供述中にもそのような事態が生じたことをうかがわせるなんらの資料も発見できないのである。そしてこれらのことに、当審証人佐藤喜一郎並びに原審証人大山駒吉及び天野末吉の各証言をあわせて考えると、前記の証言及び供述は、いまだ措信するに足りないというべきである。

しかして、前日の小火の出火個所と本件火災の出火個所と推認される別紙第二図のF又はGの部分の側壁との距離及びその間に介在する柱、窓枠などの障害物を考えに入れると、男鹿市消防署員が右F又はGの部分の側壁中に残火の可能性ありと考えず、その部分の下見板をはがすなどの残火確認の措置をとらなかつたとしても、原審証人船木勘治郎により認められる消防活動においても無用の破壊を避ける運用をしていることを考慮すれば、あながちこれをもつて過失ありとすることはできないと考えられ、この判断を左右するに足る証拠は発見できない。

四  結論

以上認定判断したところによれば、被控訴人の請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないことに帰する。よつて、一部結論を異にする原判決はこれを取り消し、被控訴人の請求を棄却すべきである。

訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条及び八九条を適用する。

(裁判官 西村四郎 萩原昌三郎 浅生重機)

(別紙) 第一図面、第二図面〈省略〉

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